『アンネの日記』と「家」
こんにちは、事務の竹内です。
先日、私にとってショックなニュースがありました。
1月11日、『アンネの日記』を保管していたミープ・ヒースさんが
享年100歳でお亡くなりになられたそうです。
私はもちろん彼女とは面識があるわけでもないのですが、
『アンネの日記』はじめ、関連図書を読んでいれば彼女の名前は必ず登場するので
まるで知人が亡くなったような思いに胸が塞ぎました。
彼女の経歴については周知の事と思いますがあえて簡単に説明しますと、
ナチスによるユダヤ迫害を逃れる為に潜伏生活をはじめたアンネ達一家を
かくまっていた支援者のひとりです。
彼女の勤める会社の屋根裏や壁の向こう側、回転式の本棚の先に
『アンネの日記』の舞台でもある、かの有名な隠れ家がありました。
2年に及ぶ潜伏生活も保安警察の訪れにより終わりを告げ、
隠れ家にいたアンネ達は支援者の方もろとも連行されてしまうわけですが、
ひとり逮捕を逃れたミープさんが隠れ家に残されたアンネの日記を発見。
彼女はそれを咄嗟に集め、覗き見ることもなく保管し続けたそうです。
その後、戻ってきたアンネの父の手に渡り、『アンネの日記』は出版されます。
彼女の咄嗟の機転のおかげで戦争の悲惨さや、若く聡明なひとりの少女の感性は
今も語り継がれているのですね。
(戦争の善悪や『アンネの日記』の真偽については諸説ありますが、
ここで言及する事は避けたいと思います。)
アンネ達がすごした隠れ家は今も博物館として保存されているようですが
その生活の苦しさは日記の中からも読み取ることができます。
こうしてリフォーム会社に勤務して「家」と関わる仕事をしていると、
無意識にもこの点に注目がいってしまいます。
お風呂やトイレなど水廻りの不便、
常に誰かと一緒にいなければならないプライバシー問題、
窓を思いっきり空けて空気を入れ替えたり、
陽の光を浴びることが叶わない苦痛、不衛生、不健康、
物音に怯えて、静かに息を飲む不自由・・・
思春期の少女がこんなところで過ごしていたのかと思うと、目の前が暗くなります。
(写真左;隠れ家の入口に通じる回転本棚 右;現存するアンネの家)
今日はこの冬一番の冷え込みだそうですね。
我が家では今朝突然ガスが切れてしまい、お湯もコンロも使えなくなり、
小パニック状態に見舞われました。
普段、いかに便利で贅沢な暮らしをしているのかと思い知らされます。
あたりまえのように毎日帰る「家」「が、私や家族の生活を守り、
「普通でいられる」という幸福を与えてくれているんだなと、
頭を垂れたい気持ちになりました。
ミープ・ヒースさんに御冥福を。
今わたしの生きる平和に感謝を。
みなさまが暖かい家で日々を幸せに過ごせますように。