オイルランプ
こんにちはー。
休暇を頂いて長崎に行ってきました。
江戸時代の鎖国下の時から、ヨーロッパの先進文化を受け入れていたただ一つの窓口、長崎。
その文化の中にあったものの一つが、オイルランプです。
あかりとして、人々が行灯や提灯を使っていた頃、西洋文化からオイルランプが伝わっていました。
それまで種油を火種皿に満たして灯芯を燃やしたり、和ろうそくを芯切りにしたりで、煩わされていた日本人にとって画期的なあかりとなった「ランプ」。日本開国と共に多くが渡来し、明治時代の初期には非常な勢いで普及しました。
ガラスまたは金属製の油つぼに石油を入れ、これに口金を付け、口金を通して木綿糸で編んだ芯を石油に浸し、毛細管作用によって石油を吸い上げ、これに点火する仕組みです。完全燃焼を避けるために「ほや」を立てて炎を覆うなど、適度な通風が行われるようになっています。
江戸時代の終わり頃、アメリカのペンシルバニアで石油が発見され、石油のランプが広がるとともに、アメリカからヨーロッパに渡った石油ランプは、当時ヨーロッパで著しく発達したガラス細工が合わさって、豪華なランプが製作されるようになっていきます。
始めは輸入に頼っていたものも、明治初期には東京でランプ用の「ほや」の製造がはじまり、それから「油つぼ」、「ランプ用笠」、「口金(バーナー)」と次々製作されるようになり、国産化が進んでいきました。また、日本人独特の器用さと技術力によって、明治時代半ばごろには、舶来品とみまがうばかりの装飾価値の高いランプが次々と生み出されました。
陶器やガラス、布や鋳物など、様々な素材で作られています。
坂本龍馬や勝海舟らが、長崎で学識見聞を広げていた頃から、灯されていたであろう『あかり』。
数々の美しいランプを見ながら、古き良き時代に思いを巡らしてしまった私でした・・・・・。