1641年に宮主の庵を作ろうと山のふもとを切り開いていると横穴が見つかり、そこで御神像が見つかったことから「穴八幡宮」と呼ばれるようになりました。
それを聞いた時の将軍徳川家光はこの場所を幕府の祈願所に認定し、江戸城の北の総鎮護としました。
それをきっかけに歴代の徳川の将軍が度々訪れました。
特に8代目将軍徳川吉宗は跡取りの疱瘡治癒のために流鏑馬を奉納しました。
その後も跡取りの誕生の際や厄除けとして流鏑馬が奉納され続けました。
そういった歴史もあるため、鳥居のそばには流鏑馬の銅像が置かれています。